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「卑弥呼の鏡」は鉄製か――佐賀新聞の報道から

日本や中国では、利器の主役が鉄に移ってからも、鏡は銅で作るものだった。しかし三国時代、大陸では、主要な銅の産地は呉が領有したため、魏では銅材が不足し、鉄の鏡が作られたとされる。

佐賀新聞は一月三日付で、『卑弥呼の鏡「可能性高い」大分・日田で出土の鉄鏡 中国・曹操陵の発掘責任者が見解』という記事を掲載した。

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この鉄鏡とは、1933年にダンワラ古墳から出たと云われているもので、今回来日した河南省文物考古研究院の潘偉斌氏が、取材に応じてその見解を示したとしている。

所謂「卑弥呼の鏡」とは、《三国志・魏書・烏丸鮮卑東夷伝》の中(通称〈魏志倭人伝〉の部分)で、天子からの回賜の品物を列挙した所に、”銅鏡百枚”と記されているもののことである。これが文字通りの銅鏡であれば、銅不足の魏朝で新たに作られたのではなく、漢代から残された古い製品だった可能性が高い。しかしもし当時の新作だったとすれば、銅鏡という字の方が間違いで、その実態は鉄鏡だったということは考えられる。あるいは古い銅鏡と新しい鉄鏡が混在していた可能性もあり、その場合は簡潔に総称するなら銅鏡とだけ書いて済ませることも考えられなくはない。

日本の考古学者の一部は、三角縁神獣鏡が「卑弥呼の鏡」であるとする説を長年支持している。だがこれは、様式の上からは南方系であり、時期的にもやや下り、造作からは日本列島で鋳造された可能性が高い。その説を除くと、従来は「卑弥呼の鏡」は後漢鏡である可能性が高いとする説が広く紹介されてきた。しかし鉄鏡が少なくとも一部に含まれていたとすれば、当時の最新作が贈られていたことになる。実態の解明にはさらに幅広く、国境を超えた総合的な研究が進展することを期待したい。