2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧
唐の高宗の永徽五年、新羅の真徳王が薨去し、孫の春秋が立って王となった。これが武烈王で、また新羅の太宗とも呼ばれる。この年は倭の白雉五年に当たる。武烈王は明年、高句麗と百済が結んで新羅の三十城あまりを奪ったとして唐に訴えた。高宗は営州都督の…
二つ折り型の携帯電話機と言えば、1999年、iモードのサービス開始とともに登場した、と書くと多くの人は納得してしまうかもしれない。しかし実際にはこの形状を採用した機種はそれより前にすでに存在していた。ここで言う「二つ折り型」とは、開いた時に上…
阿倍倉梯麻呂《あへのくらはしまろ》が逝去し、蘇我倉山田石川麻呂《そがのくらのやまだのいしかはのまろ》が謀殺された後、大化五年四月、巨勢徳陀古臣《こせのとこだこのおみ》が左大臣に、大伴長徳連《おおとものながとこのむらじ》が右大臣に任命され、…
唐の太宗がその崩御につながる病に襲われつつあった頃、倭国では左大臣阿倍倉梯麻呂《あへのくらはしまろ》が卒去した。倉梯麻呂の死については特に伝えられていることはない。大化五年三月十七日のことだった。この頃までに、改革の方向性を示す法令の発布…