古代史を語る

古代史の全てがわかるかもしれない専門ブログ

元祖キャッシュレスだった紙幣と、これからのキャッシュレス

ここに「紙幣」というものがある。みなさんは紙幣は「現金」だと思うだろうか。なぜ紙ペラが現金として通用するのだろうか。実は、紙幣が現金としての地位を確立したのは、そんなに古いことではない。どの時点で紙幣が現金になったかは、明確にいつというのは難しいかもしれないが、最終的には金本位制が廃止された1970年代前半だと言って良いだろうか。だとすると、それはまだ半世紀ほど前のことに過ぎない。

紙幣の始まりは「キャッシュレス」から

紙幣制度の起源は、中国史上の北宋の時代に用いられた「交子」と呼ばれるものにさかのぼる(そのまたさらに源流は、唐代の「飛銭」という一種の為替手形だとされる)。交子の発行は、今の四川省で始まった。《宋史・食貨志》によると、当時その地方では鉄貨が用いられていたが、重い上に低価値であるため大量に運ぶ必要があり、土地の人は苦しんでいた。そこで交子の制度が作られたとされる。

交子は、中国で早く発達した紙と印刷の技術を駆使したもので、鉄銭と兌換できることを前提として、貨幣として流通した。つまり交子の発行には、兌換に引き当てる現金=鉄銭の用意を必要とした。言い換えると、現金としての実体は鉄銭であり、交子は代替の決済方式、「キャッシュレス」だったのだ。当初は民間の交子舗十六戸がこれを発行していたが、後に取り付け騒ぎが起きたので、益州に交子務を設けてその発行を管理し、私製することは公文書偽造と同様に禁じられた。

こうして出発した交子は、ある程度普及した。交子は、紙を主な原料とするため、金属貨幣より増発が容易である。北宋政府は初め、兌換用に準備した鉄銭の総額を、交子発行の上限として、慎重に管理をした。しかし後には規律が崩れ、乱発したことで価値が下落し、制度の信用を失うことになった。

一千年の失敗と成功

こうして紙幣制度は、最初の実験には失敗したものの、これで見捨てられることはなかった。中国では、南宋の会子、元の交鈔などに受け継がれる。元の紙幣制度は、ヨーロッパにも伝えられた。フランスやアメリカでも紙幣制度の実験が行われた。こうした実験は、たびたび酷い失敗を引き起こして、経済を混乱させた。

失敗を繰り返したにもかかわらず、紙幣制度が死滅しなかったのは、それが必要とされたからに他ならない。経済が発達すると、金属貨幣だけでは活動をまかなえなくなる。紙幣が必要であり、理想的には「現金」の裏付けを必要としない非兌換紙幣が求められる。

結局、紙幣制度が確立するには、これを適切に管理できる通貨当局の制度ができ、その当局に対する信用が確立されなければならなかった。そしてそれが実現した時には、紙幣はそれ自体が「現金」となり、兌換を前提とせずに通貨として流通することとなった。「キャッシュレスがキャッシュになった」のだ。ここまでに約一千年を人類は過ごした。

これからのキャッシュレス

さて「何か」が貨幣あるいは「現金」として通用するには「信用」が必要なのだと理解すれば、究極的には「信用」そのものが「現金」になりはしないかという考えが出てくる。今日では、「信用」そのものが、かなり多くの場面で決済に関与している。例えば、クレジットカードは、「後で実際に現金が支払われる」という信用のもと、その場では現金の支払いなしに売買を成立させる。いわゆる電子マネーやコード決済も、基本的には同じである。

私がある書店において、一冊の本をクレジットカードによって買ったとしよう。貨幣の「新」世界史──ハンムラビ法典からビットコインまで (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の様な本がふさわしいだろう(この稿の参考文献でもあることだし)。この時に、後で支払われるはずの現金は銀行口座に入っていて、それは雇用主から振り込まれたものだとすると、自分はその現金に一度も触れる機会がない。さらに書店にも直接現金が運ばれるのではなく、銀行口座に振り込まれるのだろうから、そこの店長もこの現金は見ない可能性がある。

ここで重要なのが現金の「所有権」なのだとすると、将来的には初めから「所有権」の形で通貨を発行するということが考えられる。つまり硬貨や紙幣の様な「有体」の通貨ではなく、「お金の権利」という「無体」の通貨だ。「所有権」に対して信用があれば良い。ここで「所有権」と「信用」という、互いに目に見えない二つのものの意味は、限りなく接近する。株ならすでに券面が廃止されて、所有権だけのやりとりになっているのと同じである。現在の「キャッシュレス」といわれるものは、その方向に人類を連れて行くだろうか。

ただ「無体通貨」が確立されたとしても、今なお硬貨が紙幣と併存している様に、ただちに現代の我々が思う「現金」がなくなるわけではないだろう。それにしても、「キャッシュレス」が本当に当たり前になった時には、「キャッシュレスもキャッシュの一つ」になっているはずだ。新しい形態の貨幣が、現金としての信用を得るには時間がかかるだろうが、また一千年を要すると思うのは悠長に過ぎるのだろう。