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時事通信”中国の習主席、ゼロコロナ「勝利宣言」”報道は誤読

2022年12月31日付で、時事通信は「中国の習主席、ゼロコロナ「勝利宣言」 防疫は新段階に」と題する記事を配信した。こうある。

【北京時事】中国の習近平国家主席は12月31日、新年を迎えるに当たり恒例のテレビ演説を行い、新型コロナウイルスの感染拡大を徹底的に封じ込める「ゼロコロナ」政策を巡り「未曽有の困難に打ち勝った」と事実上の勝利宣言をした。

この「事実上の勝利宣言」という表現には少し驚いた。というのは、わたしはこれを見るより前に、中国国際放送(CRI)日本語部による全文翻訳「習近平国家主席が2023年新年の挨拶を発表」にざっと目を通していたが、「勝利宣言」というような内容を読んだ憶えはなかったからだ。CRI は中華人民共和国の国営対外報道機関であり、その翻訳は同国政府の公式のもの受け取ってもよい。CRI 日本語部には日本語をかなり闊達にしゃべる中国人が在籍し、日本人も数名雇傭されているし、立場からも政権の意図に違うような翻訳を出すことはまずありえないだろう。

その公式訳より、COVID-19 対策について言及した段落を引用する。

感染症の拡大以来、私たちは終始一貫して「人民至上」「生命至上」の理念を貫き、科学的かつ的確な感染対策を堅持し、状況の変化に応じて感染対策を調整し、人民の生命の安全と健康を最大限に守ってきました。医療関係者をはじめとする多くの幹部や大衆、社会の末端組織のスタッフたちは艱難辛苦を顧みず、果敢に持ち場をしっかりと守り、きわめて苦しい状態にあっても努力を続けることで、未曾有の困難と試練を乗り越えました。皆さん、本当にお疲れさまでした。現在、感染対策は新たな段階に入り、依然として正念場が続くこの時期に、誰もが堅忍不抜の意志で臨んでいます。まもなく光は見えるでしょう。皆さん、もう少しだけ頑張ってください。団結しやり抜くことで、初めて勝利は収められるのです。

他の日本語の報道で同じことについて扱った記事の見出しを挙げると、その印象にはある程度の幅が認められる。

そこで(現代中国語がすらすら読めるというほどではないけど)原文を確かめてみる。「独家视频丨国家主席习近平发表二〇二三年新年贺词」という記事だ。こうある。

疫情发生以来,我们始终坚持人民至上、生命至上,坚持科学精准防控,因时因势优化调整防控措施,最大限度保护了人民生命安全和身体健康。广大干部群众特别是医务人员、基层工作者不畏艰辛、勇毅坚守。经过艰苦卓绝的努力,我们战胜了前所未有的困难和挑战,每个人都不容易。目前,疫情防控进入新阶段,仍是吃劲的时候,大家都在坚忍不拔努力,曙光就在前头。大家再加把劲,坚持就是胜利,团结就是胜利。

このなかで時事通信の記者が「勝利宣言」と解釈したのは、「我们战胜了前所未有的困难和挑战」という部分であるようだ。これを漢文の読み下し風にすると、「我ら前に未だ有らざるところの困難と挑戦に戦勝せり」といったところだろうか。「战胜」は「戦勝」の簡体字(形声による簡化字体)で、「打ち勝つ」「打ち負かす」という意味合いに使われる。その下に「了」が付いているので「打ち勝った」と訳したくなるだろう。しかし文脈を読めばこれはむしろ「打ち勝ってきた」という経過を言おうとしているのであり、最終的に「勝利した」というのではないと思う。公式訳で「打ち勝つ」という定訳を避けて「未曾有の困難と試練を乗り越えました」としているのは意味があるようだ。

また、この段落では COVID-19 が流行する状況全般についてというような言い方をしていて、いわゆる「ゼロコロナ政策」に関してはぼかした論理構造になっている点にも注意が必要だ。習氏はおそらく「ゼロコロナ政策」が「失敗したのではないか」と指摘されるような点をぼかしたいと思ったので、それが成功したと直接的に言うことも避けたのではないだろうか。

「勝利」という熟語は、もちろん古典中国語から日本語が借用した語彙の一つだが、現代中国語でもそのまま使われていて、簡体字で「胜利」と表記される。そのものずばり「胜利」という語は、この段落の末尾に二回、「坚持就是胜利,团结就是胜利」とある。これは「(もし)堅持すれば勝利し、団結すれば勝利する(だろう)」という、将来への条件付き見通しの表現であり、逆に言えばまだ勝利はしていないということになるから、ここからも前の「戦勝」が「事実上の勝利宣言」と強調するほどのものでないことが明らかとなる。公式訳では両句をまとめて「団結しやり抜くことで、初めて勝利は収められるのです」としている。

さて翻訳というものは逐語的に辞書通りにすれば良いというものではなく、特定の文脈におけるそれぞれの語の位置付けを読み取り、関係する言語間の語用論的および文法論的特徴の違いをも考慮しなければならない。その点でこの CRI の翻訳はかなりこなれたものであるのに対して、時事通信の記者は機械翻訳にでも基いて記事を書いたのではないかと疑われる。習政権には批判されるべきところがあるにしても、誤読からは正確な批判は生まれない。