古代史を語る

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2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

天武天皇評伝(六) 戦争と外交の季節

倭国の孝徳王政権が大化と年号を立てて新しい政策の展開に乗り出した頃、唐の太宗が率いる親征軍は、高句麗の安市城に迫っていた。唐の貞観十九年八月。年頭に開始された唐の高句麗遠征は、ここまでは順調に見えた。ところが意外、安市城の守りは堅かった。…

天武天皇評伝(五) 頤で王子を殺す

中臣鎌足《なかとみのかまたり》がともに天下のことを図るべき人物と見こんだ本命は、あくまで中大兄《なかのおほえ》王子だった。それにも関わらずここで孝徳王を推戴したことには、いくつかの理由がある。それはまず第一には、孝徳王からの破格の礼遇があ…

天武天皇評伝(四) 乙巳の変

皇極王の四年は、唐の太宗の貞観十九年に当たる。太宗は、先年より高句麗と新羅の争いを調停すべく外交的介入を試みていたが、高句麗の権臣泉《いり》蓋蘇文《かすみ》が従わないので、ついに親征を決意した。太宗には、内は全国を平定し、外は突厥《とっく…

天武天皇評伝(三) 入鹿と鎌足

舒明王はその治世の十三年十月に崩御し、王后の宝王女が翌年正月に即位した。これが皇極王である。蘇我蝦夷が大臣に留任するが、その子の入鹿《いるか》の活動がこの頃から目立ち始めた。日本書紀には「自ら国政を執り、威は父に勝る」と記されている。一方…