古代史を語る

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2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「当在会稽東冶之東」を読み解く

《魏志・東夷伝》には、帯方郡からの道のりの他に、邪馬台国の位置に関係する情報がいくつかある。その一つは、 計其道里,當在會稽、東冶之東。 というものである。やや意味を取りにくい書き方で、なぜここに会稽の東冶を持ち出す必要があるのかも分かりに…

邪馬台国への針路

ここまでの里数・方位・日数についての検討で、邪馬台国への道をたどる一応の準備ができたと思う。出発地は、帯方郡であり、その正確な位置はともかく、ひとまず今のソウル付近の河口で船に乗ったと想定しておく。現行本《魏志・東夷伝》によってその経路を…

「泛海南去三佛齊五日程」

我々は張政や梯儁の跡を追って邪馬台国にたどりつきたい。そこで、これまでに里数や方位について検討してきた。ところが《魏志・東夷伝》では肝心のところに里数がない。末廬国に上陸後、伊都国・奴国・不弥国を経て、 南至投馬國,水行二十日 そして 南至邪…

古代人の方位観を捉えるために

《魏志・東夷伝》には、帯方郡から邪馬台国までの行程が示されており、そこには「又南渡一海千餘里」とか「東南陸行五百里」のように多く方位を付けてある。これを信じればその順路をたどることができそうだが、そのためにはまず方位観の発達について考えて…

《魏志・東夷伝》による面積と距離の認知

《魏志・東夷伝》によると、魏から倭への公式の使節は、正始元年(240)の梯儁と同八年の張政の二回の記録がある。実際にはもっと多くの往来があったかと思われるが、この二回は、詔書を奉じており、天子の命によって行われたために、特に史乗に残されたので…

《魏志・東夷伝》における倭韓両地の境界

およそ歴史上の謎というものには二種類ある。一つは史実そのものに説明がつきにくいというものであり、もう一つは史料の読み方を誤ったためにありもしない謎を発見してしまうというものだ。そして私の考えでは、この謎というもののほとんどは後者ではないか…