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「なぜそんなものを食べるのか」? 食不食論を考える

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 歴史を掘り下げる中で「食」に出会うと、今の料理と変わらない旨さが想像できる事もあれば、なぜそんなものを食べるのかと驚く様な事もある。しかし考えてみれば、食べるものを選べるという状況がずいぶんと贅沢なのであって、人類は長い間、獲得できるものを否応なく食べて、どうにかこうにか生存してきたというのが事実なのだろう。食べられるものは食べる、というのが基本であって、そこから「食べられるけど食べない」という選択が生じてくる所に歴史的事情がある。とすれば「なぜそれを食べるのか」という問題設定をするよりも、「なぜそれを食べないのか」と考えてみる方が意味がある。


 ある地域で食べていたものが、食べられなくなる原因としては、およそ次の様な理由を想定できるだろう。一に、資源の枯渇によって食べる事が出来なくなる。二に、食糧となる以外の重要な役割を与えられる。三に、外来文化の影響によって価値観が変わる。四に、政治/宗教などの権力によって禁止される。五に、人為的食糧生産の増大によって野生食糧を食べる必要が無くなる場合。

 最も古い家畜といわれる犬の場合について見てみよう。犬は、早くに失われた例を含めると、世界の広い範囲で食べられた。東洋古代史をやっていても、必ず中国の犬肉食を知る事になる。戦国時代、殺人を犯して故郷を去った聶政は、斉国に逃れて「狗屠」を職業とし、生活は豊かではないが老母を養って十分に食えたという。有名な荊軻は燕国で「狗屠」の某および高漸離と仲良くなり、日々市場でともに酒を飲んだ(《史記・刺客列伝》)漢の高祖劉邦の旧友で、その天下取りを助けた樊噲はもと「屠狗」を職業としていた(《史記・樊酈滕灌列伝》)。犬を解体して肉を売る仕事である。犬は豚とともに一般的な食肉だった。牛は重要なお供え物とされていたから祭祀などの機会に食べられる事もあったが、それよりは農耕や運搬の動力としての役割が重視されていたとみられる。

 犬は古代には確かに一般的に食べられていたが、中世には忌避される様になっていく。おそらく漢末から魏晋南北朝、唐初にかけて、遊牧系文化の影響を大きく受けた事が要因として考えられる。後には狗屠/屠狗の語は卑しい人や職業を指す代名詞に転じた。

 中国周辺の地域では、ベトナム琉球、朝鮮、そして日本などにも犬肉食の習慣が見られる。日本では縄紋文化期には犬が飼われていたが、食べた痕跡はほとんど見られないという。主に狩猟における役割が与えられていた為だろう。弥生文化の遺跡からは、解体された犬の骨が出ている。農耕文化とともに犬肉食の習慣が移入されたらしい。豚もいくらか飼っていたとみられるが、畜産文化は定着しなかった。犬は中世の都市遺構からも食べた跡が見付かっている。江戸時代初期には文献的証拠がある。「犬公方」と渾名された徳川綱吉の政策によって犬を殺す事は禁じられた。犬肉食はそれまで日本の伝統食だったと言えるだろう。

 韓国は現在も犬肉食が行われている地域の一つで、海外からの非難によってよく知られる事となった。中国にも一部の地域には犬肉食が伝えられており、国内でも余り知られていなかったのが、外国からの反対運動に遭って有名になったと聞く。この点は日本のイルカの場合と似ている。やめろと言われて反って伝統文化の自覚が強まり、より執着する心理を生じるのも共通の傾向らしい。

 日本では綱吉以後、一般的習慣としての犬肉食は復活しなかった。今では日本料理の伝統は犬抜きで形成されている。戦争による食糧不足の折には犬を食べたと聞くが、戦後の高度成長期に犬は家庭における地位を確立し、食べるという事は考えがたくなった。食べるのが伝統なら、食べなくなるのも伝統で、それはそれでそれなりに食文化は成り立ってくる。伝統だから是非とも食べ続けなければならないという事も無いし、食べたくなくても食糧難で食べなければならないという事態も起こる。反対するのが自由なら、食べるのも自由でもある。


 ついでに個人的な事を言うと、今まで食文化に関して一番驚いたのは、豚をペットとして飼う人がいると知った時だった。それまで自分にとって豚は食べるだけのもので、食べられる為の生き物であるかの様に思っていた事を自覚した。どんな生き物も人がかわいいと思えばかわいくなるのだと知れば、食べるのが悪いような気もしてくる。その気持ちを大事にしながら、今日も豚を食べた。

参考文献

中華料理の文化史 (ちくま文庫)

中華料理の文化史 (ちくま文庫)

 
魏志倭人伝の考古学 (岩波現代文庫)

魏志倭人伝の考古学 (岩波現代文庫)

 
ドキュメント 屠場 (岩波新書)

ドキュメント 屠場 (岩波新書)