古代史を語る

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月令七十二候集解(七月~十二月)

※前回より続き。

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 ○立秋りっしゅう

 立秋は、七月の節気。立字の解は春のところに述べた。秋は、しゅうである。物をこのころに揪斂しゅうれん(とりいれ)することである。

 涼風至りょうほうし〔『礼記』は盲風至に作る〕(涼風が至る) 西方淒清の風をば涼風という。温度が変わって涼気がひきしまり始めるのである。『周語』に「火が見えて清風が寒を戒める」とあるのがこれである。

 白露降はくろこう(白露が降る) 大雨の後、清涼の風が来て、天の気が下降し、茫々として白むこと、なお未だ凝って珠とならず、故に白露という。降って秋金の白色なるを示すのである(五行の金を五時では秋、五色では白に配当する)

 寒蝉鳴かんせんめいひぐらしが鳴く) 寒蝉は、『爾雅』に寒螿かんしょうといい、蝉の小さくて青紫なる者。馬氏は、物の暑いときに生まれた者は、その声がこれに変わるのだ、という。


 ○処暑しょしょ

 処暑は、七月の中気。処は、止である。暑気がここに至って止まるのである。

 鷹乃祭鳥ようだいせいちょう(鷹がここで鳥を祭る) 鷹は、義のとりである。秋の令は金に属し、五行では義とする(五行の金を五常〈仁・礼・信・義・智〉では義に配当する)。金の気は粛殺しゅくさつであり、鷹はその気に感じて諸鳥を捕撃し始める。されば必ず先にこれを祭り、人が飲食するのに先祖に祭るようにするのである。子持ちの鳥は撃たないので、これを義という。

 天地始粛てんちししゅく(天地がしまり始める) 秋は陰の始めなので、天地始粛という。

 禾乃登かだいとう穀物がやっとみのる) 禾は、穂を立てる穀物の総称。また稲・きびまこもあわの属はみな禾である。成熟することを登という。


 ○白露はくろ

 白露は、八月の節気。秋は金に属し、金の色は白。陰気がだんだんと重くなり、露が凝って白むのである。

 こう〔『淮南子』は候に作る〕鴈来がんらい(鴻鴈が来たる) 鴻は大きいもの、鴈は小さいもので、北よりして南に来るものである。「南向」といわないのは、その家ではないということ。詳しくは雨水の節の下に載せた。

 元鳥帰げんちょうき(元鳥が帰る) 元鳥についての解説は前に述べた。この時期に南よりして北に往くのである。燕は北方の鳥なので「帰」という。

 群鳥養羞くんちょうようしゅう〔『淮南子』は群鳥翔に作る〕(群鳥がたくわえる) 三人以上を「衆」とし、三獣以上を「群」とする。群は衆である。『礼記』の註に曰く、羞とは羹にしてこれを食う所のもの(羊の切り身をいう)。養羞とはこれを蔵して冬の間の養いを備えることである。


 ○秋分しゅうふん

 秋分は、八月の中気。解説は春分に述べた。

 雷始収声らいししゅうせい(雷が声を収め始める) 鮑氏はいう。雷は二月の陽中に声を発し、八月の陰中に声を収め地に入る。さすれば万物は随って入るのである。

 蟄虫壊ちゅうちゅうはい〔音は培〕(こもれる虫が戸をのせる) 淘瓦の泥をば壊といい、細泥のことである。『礼記』の註を按じると、その蟄穴の戸を倍益し、明るい処に通さしめることやや小さくして、寒さの甚だしきに至ってようやくこれを塗り塞ぐのである。

 水始涸すいしかく(水が涸れ始める) 『礼記』の註に曰く、水は根本の気のあらわれで、春夏の気が至れば長じ、秋冬の気が返れば涸れるのである。


 ○寒露かんろ

 寒露は、九月の節気。露気寒冷にして、凝結しようとするときである。

 鴻鴈来賓こうがんらいひん(鴻鴈が来賓する) 鴈は仲秋に先に至る者が主宰となり、晩秋に後から至る者が賓客となる。『通書』は来浜に作る。浜は水際のことであるが、通じて用いる。

 雀入大水為蛤しゃくじゅうたいすいいこう(雀が海に入って蛤になる) 雀は、小さい鳥である。その類は一つならず、ここにいうのは黄雀である。大水とは、海のことである。『国語』に云う。雀が大海に入って蛤となるのは、寒風厳粛にして、多くが海に入る。これが変じて蛤となる。飛ぶ物が化けて潜る物となるのである。蛤は、ほうの属で、小さい者である。

 菊有黄華きくゆうこうか(菊が黄華を有する) 草木はみな陽に華さくが、菊だけは陰に華さく。桃始華・桐始華はどれも色を言わないのに、菊だけ言うのは、その色が正に晩秋の土旺とおう(土気がさかんになるという各季節の末期)の時に応じているからである。


 ○霜降そうこう

 霜降は、九月の中気。気がしまって凝った露が結ばれて霜となること。『周語』に、駟が見えて霜がちる、とある。

 豺祭獣さいせいしゅう〔『月令』は豺乃祭獣戮禽に作る〕やまいぬが獣を祭る) 獣を祭るとは、獣を天に祭るということで、根本に報いるものである。方形にならべて祭るのは、秋金の義である。

 草木黄落そうぼくこうらく(草木が黄色く落ちる) 色が黄色くなって揺れ落ちるのである。

 蟄虫咸俯ちゅうちゅうかんふ〔『淮南子』は俛に作る〕(こもれる虫がみな俯く) 咸は、皆である。俯は、頭を垂れることである。この時期には寒気が粛凜として、虫はみな頭を垂れて食わなくなる。


 ○立冬りっとう

 立冬は、十月の節気。立字の解は前に述べた。冬は、終であり、万物が収蔵することである。

 水始氷すいしひょう(水が凍り始める) 水面が初めて凝るが、未だ堅くならざるときである。

 地始凍ちしとう(地が凍り始める) 土気が寒さに凝るが、未だ裂けるに至らざるときである。

 雉入大水為蜃ちじゅうたいすいいしん(雉が海に入って蜃になる) 雉は、野鶏である。鄭康成・『淮南子』・高誘はともに蜃に註して大蛤とする。『玉篇』にも、蜃は大蛤なり、とある。『墨子』にまた、蚌、別名は蜃、蚌は蛤の類にあらざるか、という。『礼記』の註では蛟の属とし、『埤雅』はまた蚌・蜃を各々釈して「蛤の類に似て非なり」とする。しかし『本草』を按じると、車螯の条に「車螯しゃごうとは、大蛤のことで、別名は蜃、よく気を吐いて楼臺をなし、またかつて海の傍らに蜃の気が楼垣を成すと聞く」とある。『章亀経』はいう。「蜃の大なる者は島嶼に車輪をなし、月の間に気を吐いて楼を成すこと、蛟竜と同じである」。ならばこれを蛤と知ること、明らかである。いわんや『爾雅翼』が『周礼』諸家を引いて、蜃を蛤のこととしているのは甚だ明らかだ。『礼記』の註には雉を考察し、蛇化の説によって雉子を蜃とする。『埤雅』は既に、「(蜃の形は)蛇に似て大、腹の下は尽く逆鱗」といい、これを知ること詳らかにしながら、しかもまたこれを疑い、「異説に状は螭竜ちりょうに似て耳が有り角が有る」ともいう。ならばやはり聞いてこれを識ること、『本草』『章亀経』がこれは一つの物だとするのに及ばない。大水は、淮河のことである。『晋語』には「雉入于淮為蜃」とある。


 ○小雪しょうせつ

 小雪は、十月の中気。雨が下って寒気の為に凝縮され、それで凝って雪となる。小とは、未だ盛んならざるの辞。

 虹蔵不見こうそうふつけん(虹がかくれて見えない) 『礼記』の註に曰く、陰陽の気が交わって虹となるが、この時期には陰陽が離れきり、それで虹が隠れる。虹には実体が有るのではないのに、蔵というのは、やはりその気が低く伏すのを言うだけのこと。

 天気上升地気下降てんきしょうしょうちきかこう(天の気が上昇し地の気が下降する。解説を欠く)

 閉塞而成冬へいそくじせいとう(閉塞して冬が成る) 天地が変じて各々がその正位になおり、交わらざれば通らず、通らざれば閉塞する、それは時の冬となる所以である。


 ○大雪たいせつ

 大雪は、十一月の節気。大は盛である。ここに至って雪が盛んになるのである。

 鶡鴠不鳴かつたんふつめい(鶡鴠が鳴かない) 『禽経』に曰く、鶡は、剛毅な鳥である。雉に似て大きく、毛角が有り、闘い死んではじめて休む。古人が勇士たるを取って(喝する鳥の意味)、名を冠したと知られる。『漢書音義』にも同じ。『埤雅』に、黄黒色だから名を鶡(褐色の鳥)とする、と云う。これに拠れば、本来は陽の鳥で、六陰の極みに感じて鳴かなくなるのである。郭璞かくはくなどは『方言』(に付けた註)に、鶏に似て、冬は毛が無く、昼夜鳴き、寒くして号する動物だとする。陳澔、それに方氏も「求旦の鳥」だというが、どれもあたらない。夜に鳴くなら(求旦の鳥は夜に鳴くという)どうして不鳴というのか? 『鉛丹余録』が鴈に作るのも、恐らくそうではない。『淮南子』はかん鴠に作り、『詩』の註は渴旦に作る。

 虎始交こしこう(虎が交わり始める) 虎は猛獣である。だから『本草』ではよく悪魅を避けるという。今かすかな陽気に感じて(冬が深まり、従って春も近付いているので、かすかに陽気が立ち始める)、ますます盛りがつき、それでつがいになって交わる。

 荔挺出れいていしゅつ(荔が生え出る) 荔は、『本草』にはこれをれいと書いているが、実は馬薤ばかい(薬材にする植物の一種)のことである。鄭康成・蔡邕・高誘はそろって馬薤と云う。『説文』を見ても、荔は蒲に似て小さく根は刷毛になる、と云うところは『本草』と同じ。ただ陳澔の註だけは香草のことだとし、附和する者は零陵香(零陵の地に産する香草)だと考えているが、ことに零陵香が三月に自生するのを知らずにいるのである。


 ○冬至とうし

 冬至は、十一月の中気。終蔵の気がここに至って極まるのである。

 蚯蚓きゅういんけつ(ミミズがからむ) 六陰寒極の時にして、蚯蚓は交わり互いにからまって縄の如くなるのである。

 麋角解びかくかい(麋の角が解ける) 解説は鹿角解の下に述べた。

 水泉動すいせんとう(いずみが動く) 水は、天一の生まれる所で、陽が生ずれば動く。今一陽が初めて生まれる冬至は陰気の極まる時で、それを過ぎれば陽気が生じてくる)。それでこう云うのだ。


 ○小寒しょうかん

 小寒は、十二月の節気。月の初めは寒さがまだ小さいので云う。月の半ばになれば大きくなる。

 北郷がんほっきょう〔去声〕(鴈が北へみちびく) 郷は嚮導の意味。二陽の候には、鴈は熱を避けて戻ろうとするが、このころには北に向かい飛び立ち、立春の後になればすっかり帰る。禽鳥は気の先を得るからである。

 鵲始巣しゃくしそうカササギが巣作りを始める) 鵲は喜鵲かささぎである。鵲の巣の門はいつも太歳木星に向ける。冬至天元(万物の生育の本)の始まりで、後二陽に至りすでに来年の節気を得て(この時期に来年の二十四節気の計算ができる)、鵲は巣をつくることができ、向く方角を知るのである。

 雉雊ちこう〔音は姤〕(雉が鳴きあう) 雉は、文明の禽で、陽の鳥である。雊は、雌と雄が同時に鳴くことである。陽気に感じて後に声を出す。


 ○大寒たいかん

 大寒は、十二月の中気。解説は前に述べた。

 鶏乳けいじゅ(鶏が育つ) 乳は育である。馬氏はいう。鶏は木に属する動物で、陽気に並んで形を持つ。それで立春の節に育つのである。

 征鳥厲疾せいちょうれいしつ(征鳥があらぶる) 征は、伐である。殺伐の鳥とは、鷹・隼の属。この時期になると猛烈迅速に動くということである。

 水沢腹堅すいたくふくけん(水沢がなかまで堅くなる) 陳氏はいう。氷の凝り初めには、水面だけで、この時期になれば貫徹して、上から下まで凝る。それで腹堅と云う。腹は内という意味である。


 附録

 月令七十二候集解一巻〔通行本〕

 旧本の題は元呉澄撰。その書は七十二候を以て二十四気に分属し、各々そのこう考えられるということを解釈している。『礼記』「月令」を参照すると本文には七十二候の説は無く、『逸周書』「時訓解」がようやく五日を一候としている。呉澄は『礼記纂言』を作り、やはり『唐月令』を引いて五日一候の義を分かち著しているが、別にこの書が有るとは伝えられていない。その説は、経文は多く北方を指して記されたもので、南方の習見する所ではないとし、そこで博く『説文』『埤雅』の諸書を参照し、また農牧を訪ね、この編を著したとする。しかし名と物を考証して、創見する所は少ない。また、螻蟈は土狗だとしつつ、鼯鼠五技の説を載せたことは、互いに矛盾している。虹を日の雨気に映ったものだとしながら、虹首如驢の説をも引き、雑書を兼採したことは、やはり解経の法に乖いている。疑うらくは呉澄に托したものであろうか。〔四庫全書総目経部礼類存目(四庫全書総目に掲載され、四庫全書に本文が収録されなかったもの)〕 

(来歴や内容の一部には疑いもあるが、二十四節気七十二候の理解に裨益するものがあるので訳出を試みた。ことに一年のどの時期をとってもある季節から次の季節への移ろいの中にあること、自然の小さな変化に鈍い現代人には学ぶべきところがある)