過去30年ほどの衆議院議員総選挙から
戦後の新制度下において、衆議院議員総選挙は、昭和二十二年(1947)の第二十三回から、平成二十六年(2014)の第四十七回まで、合計25回実施されている。このうち任期満了に伴う総選挙は、昭和五十一年(1976)の第三十四回だけで、他の全ては任期途中の解散によって行われている。従って四年の任期が全て満了された場合に比べて、いくらか選挙回数が増えている。
ここ30年ほどについて見ると、昭和六十一年(1986)の第三十八回から、平成二十六年の第四十七回まで、10回の総選挙が実施されている。第三十八回は、昭和五十八年(1983)の第三十七回から、わずか二年半ほどで行われた。もしこの時の解散がされずに任期満了まで議員が務め、またその後も途中解散がなかった場合は、1987、1991、1995、1999、2003、2007、2011、2015の各年に総選挙が行われたはずである。実際には、1986、1990、1993、1996、2000、2003、2005、2009、2012、2014の各年に総選挙は行われている。早期解散により増えたのは2回である。
この間の選挙執行経費の平均は約588億円、2003年以降に限ると約691億円である(同時に行われる最高裁判事国民審査などの費用は除く。以下同じ)。最低は1986年の264億円余りで、最高は2005年の745億円余りに達している。前回2014年では616億円余りである。過去30年間にこれが2回分余計に使われたことになる。この金額が高すぎる支払いか、いや妥当かということは、なかなか難しい問題で、簡単に答えることはできないだろう。
しかし早期解散が慣習化していることによる害は、税金の消費だけとは限らない。衆議院議員が有権者から代議士として委託される任期は4年と定められているが、過去30年間の実際上の任期は平均して3年程度である。本来なら2期目を終えるまでに、すでに2回改選をして3期目に入る計算である。特に21世紀に入ってからは、2年も務めずに解散した例が、2005年と2014年の2回ある。2003年総選挙以降、2014年解散までの平均任期は、1000日にも満たない。
このように早期解散があたりまえになり、2年もせずにまた選挙をすることも頻発すれば、議員は当選した直後から次の選挙を意識するようになる。議場では問題の核心に迫ることよりも、支持者にアピールすることが優先される。与党は野党の主張を斥けることを重視し、野党は与党を非難することに集中する。選挙戦術として解散の時期が決定され、ために国会での言動が何よりも予備選挙運動として捉えられ、だからまた選挙戦術としての解散が行われるという循環に陥る。
集団的にあるパターンの行動を繰り返せば、それが文化的風土になる。早期解散の繰り返しは、このように日本の政治的風土を形成していると理解できるのではないだろうか。