ロシア・北アジア
1904年に日本の攻撃を受けて始まった戦争によって、翌年にロシアは極東に於ける権益の多くとサハリン島の南半を失う。それより前、遠距離の戦力輸送による負担がのしかかるさなか、05年1月に「血の日曜日」事件が起きたのをきっかけに、広汎な革命運動の盛り…
1584年、雷帝が死ぬと、皇太子フョードルが即位したが、病弱であったため、実権は義兄に当たるボリス・ゴドゥノフが握った。98年にフョードルが死ぬと、全国会議はゴドゥノフをツァーリに推挙したが、これがまた権力闘争のきっかけとなり、飢饉なども重なっ…
9世紀頃までに、おおまかに黒海より北、バルト海沿岸より南に定着した東スラヴ民族のまとまりは、ルーシ(古ロシア)と呼ばれた。やがてルーシの諸族はキエフ公国を中心として連合したが、これを歴史上で「キエフ・ルーシ」と称する。その領域は今のロシア連…