書評:松本克己『世界言語のなかの日本語』(2007年)
日本語の系統を探る試みは、語彙の比較を中心とする従来の方法では十分な成果をあげることができなかった。それはそうした方法によって遡れるのはせいぜい5~6000年程度の長さであり、もっと古い時代に他の言語と分離したらしい日本語の起源には及ばないからだと考えられる。松本氏は「言語類型地理論」と呼ぶ方法によって、従来の方法では手が届かなかった言語間の遠い親族関係を明らかにしようとする。
第1章では新しい方法の必要と見通しを述べ、第2章は大野晋の「タミル語起源説」に対する批判、第3章はかつて盛んに行われた「ウラル・アルタイ説」を再検討し却ける。本書にとっては予備的な内容だが、古い方法の陥りやすい所について読者に教える形となっている。
第4章「類型地理論から探る言語の遠い親族関係」は本書の中で中心的な内容を持つ。ここでは「流音のタイプ」や「形容詞のタイプ」といった言語の類型的特徴を比較し、世界の言語がいくつかのまとまりに分かれること、そして日本語は太平洋沿岸言語圏の中で、朝鮮語・アイヌ語・ギリヤーク語とともに「環日本海諸語」を形成すると考えられることが明らかにされる。この点で結果としては安本美典の所論(第360回活動記録-邪馬台国の会)とおおむね一致はするが、結論に至る筋道は全く異なる。結論の導き方としては松本説の方が堅牢で着実ではないかと思う。第5章は第4章の分かりやすい要約で、あるいは先に読んだ方がよいかもしれない。
第6章では人称代名詞を取り上げて言語の区分を検証し、それが第4章の考察とよく一致することが示される。人称代名詞というのは語彙の一部で、語彙の比較という古い方法に戻ったかのようだが、「語彙のまとまり」を比較するのとは違い、人称代名詞は各言語の中で変化に耐えてきわめてよく保存されている点に着目する。人称代名詞が言語の「生きた化石」だとは気付かなかった。
第7章「太平洋沿岸言語圏の先史を探る」では、これまでとはやや違い歴史学的性格の強い内容で、日本語や中国語を含む東アジア言語の来歴について考察される。この中で中国語の組成についての説は、岡田英弘や白川静の所論を参考にすると分かりやすいだろう。
語彙の比較という方法は、語呂合わせに似ているだけに素人にも手が出せそうな感じがして、分かりやすい面白さがある(実際にはそう簡単ではないのだが)。それに比べると松本氏の「言語類型地理論」は、ずっと専門的で難しさを感じさせる所がある。本書の刊行から10年が経っているが、こうした進んだ知見をどう一般の常識に及ぼしていけるかには社会的な課題がある。とりあえずこの本はそろそろ文庫に収めてほしいと思った。