(承前) 推古天皇の八年以降、新羅と戦争のあることが予期され、来目皇子《くめのみこ》が征新羅将軍に任じられたが、筑紫で備えをする間に病を得て、十一年春二月に薨去した。その秋、当摩皇子《たぎまのみこ》が後任として難波から船出したが、播磨で妻舎…
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