古代史を語る

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本論

南北朝時代の倭国(後編)

(承前)南朝宋の元嘉二十年(443)、倭王済は遣使奉献し、五年前に珍が受けた安東将軍・倭国王の爵号を引き継ぐことを認められた。これに続く動きは、二十八年、そして大明四・六年に記録されている。永初から大明まで、何らかの事情で遅れることや記録の漏…

南北朝時代の倭国(前編)

五世紀の南朝宋・北朝魏の対立から六世紀末の隋の統一までの約一七〇年間を普通に中国史の南北朝時代と呼んでいる。これを中国史の南北朝時代とはいっても、その状況は国際的なものであり、周辺諸国をも巻きこむものだった。だから二十世紀後半の日本を「冷…

弥生文化式都市国家論

かつては日本の都市は飛鳥・奈良時代の政治的計画都市に始まるとして誰もあやしまなかった。氏族制度の社会から都市国家の段階を経ずに領土国家ないし古代帝国的段階へ進んだと考えられていた。しかし弥生文化時代のいわゆる環壕集落の実態がだんだん明らか…

古代における歴史学的年代観への展望

ある時代について、その時代に対する歴史学的年代観が立たない、ということは、その時代は歴史学的には扱えないということを意味する。ジュラ紀には歴史学的年代観は立たない。縄紋時代もその点では恐竜時代と変わらない。遺跡があっても史料がないという時…

古代史を読む

日本語に対する計量的調査は、二十世紀に生長した研究領域の一つである。 日本語の系統に関しては未だ充分な証明が与えられてはいない。隣りあう韓国語の間でさえ、その隔たりは、英語とドイツ語やフランス語の距離では比較にならず、印欧祖語が分岐を始めた…