古代史を語る

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2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

天武天皇評伝(二)不安な安定

推古王が崩御した後、最も有力な政治家は、父馬子から大臣の座を継いだ蘇我蝦夷《そがのえみし》だった。蝦夷は、敏達王の孫である田村王子《たむらのみこ》を王位継承者として推した。これには阿倍臣麻呂《あへのおみまろ》・大伴連鯨《おほとものむらじく…

天武天皇評伝(一) 女帝の余韻

天武天皇は、舒明天皇と皇極天皇の末子で、帝位に即く前は大海人皇子《おほしあまのみこ》と呼ばれた。俗にオオアマノミコと読むが、オオシアマかそれを約めてオオサマというのが正しい。長子は中大兄《なかのおほえ》こと葛城皇子《かづらきのみこ》、のち…

歴史と人物の理解と評価

《万葉集》巻十九に収められている、 皇《おほきみ》者《は》 神《かみ》尓《に》之《し》座《ませ》者《ば》 赤《あか》駒《ごま》之《の》 腹《はら》婆《ば》布《ふ》田《た》為《ゐ》乎《を》 京師《みやこ》跡《と》奈《な》之《し》都《つ》 大《おほ…

「大王」なる称号は本当にあったのか――ついでに天皇号の由来について

日本古代史の概説書などを読むと、天皇号の前身として“大王”号が使われていた、ということがしばしば書いてある。しかしなぜそう言えるのか、考えてみるとよく分からない。 “大王”という字は確かに日本の古い史料に出てくる。その意味では証拠のあることなの…