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後宮についての雑記

皇位継承の安定性と後宮制度

天武天皇の後継者が百年ほどでほとんど絶えてしまった原因の一つは、産児の少なさにあり、これは後宮の制度が実際的に確立していなかったことに起因する所があるようだ。もっとも天武天皇自身は、十人の女性との間に十男七女を産んでいる。しかし若くして死んだ草壁皇子文武天皇については問わないにしても、聖武天皇でさえ二人の女性との間に二男三女を残したに過ぎず、しかも二人の男子は早くに死んでいる。なお元正・孝謙は独身で子がなかった。

法制度的には律令の中に後宮職員令というのがあり、側室としては「妃」二人、「夫人」三人、「嬪」四人が定員となっている。また後宮の職務に当たる役人として「宮人」約280人が仕える。宮人というのは女官の総称で、もちろん天皇の方にその気があれば「御手付き」ということがありうる。遡れば実際に天智天皇が「宮人」四人を召して三男三女を産ませている。しかし天武系にはこの実例はない。また天皇自身は律令に拘束されないので、必要なら側室を増員することもできる。そのために桓武天皇以後に設けられたのが「女御」や「更衣」という身分で、後には女御の子が天皇になる例も出てくる。前代の二の轍を避けるために考えられた措置だろうし、現に皇室の安定に寄与する一因となったと言ってよいだろう。

中国の後宮制度と実例

中国では古くから男系、特に父子継承にこだわる王権文化が形成され、これを支えるために後宮の制度が設けられた。《礼記・昏義》に、

古者天子後立六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻,以聽天下之內治,以明章婦順;故天下內和而家理。

という記述がある。つまり周の礼儀では「夫人」三人、「嬪」九人、「世婦」二十七人、「御妻」八十一人、総四等120人が後宮を形成する。御妻は或いは御女または女御ともいう。この役割分担については、《後漢書・皇后紀上》に、

夏、殷以上,后妃之制,其文略矣。周禮王者立后,三夫人,九嬪,二十七世婦,八十一女御,以備內職焉。后正位宮闈,同體天王。夫人坐論婦禮,九嬪掌教四德,世婦主喪、祭、賓客,女御序于王之燕寢。

とあり、世婦と御妻は側室というより侍女かと思う。

では歴史上の実例はどうかというと、《資治通鑑・漢紀四十六》に、

帝又徵安陽魏桓,〈安陽縣,屬汝南郡。〉其鄕人勸之行,桓曰:「夫干祿求進,所以行其志也。今後宮千數,其可損乎?廐馬萬匹,其可減乎?左右權豪,其可去乎?」〈去,羌呂翻。〉皆對曰:「不可」。桓乃慨然歎曰:「使桓生行死歸,於諸子何有哉!」〈賢曰:若忤時強諫,死而後歸,於諸勸行者復何益也。〉遂隱身不出。

という逸話を載せている。これによると、東漢桓帝の時、魏桓なる人物に朝廷から仕官の誘いがあった。近所の人が仕えたらいいじゃないかと勧めると、魏桓は世の中が非常に不景気なのに政府が贅沢をしていることを非難し、仕えて昇進してみてもそれをやめさせられる政情じゃないからというので、身を隠して出仕しなかった。その言葉の中に「後宮千数」とある。千数というのは、千を単位として数えるほど、ということだろう。

三国志・魏書・袁術伝》によると、袁術が帝号を僭称した時、

荒侈滋甚,後宮數百皆服綺縠,餘粱肉,而士卒凍餒,江淮間空盡,人民相食。

後宮には数百人を置き、みな綺麗な服を着て食糧も余るほど蓄えていたが、これは実際には一地方政権に過ぎない袁術には過ぎた贅沢で、士卒は飢えて凍えてしまうし、一般人民には食品が全く渡らず、互いに食うほどの有様だった。

三国志・呉書・孫皓伝》に付けた裵松之の注に《晋陽秋》を引いて、

濬收其圖籍,領州四,郡四十三,縣三百一十三,戶五十二萬三千,吏三萬二千,兵二十三萬,男女口二百三十萬,米穀二百八十萬斛,舟船五千餘艘,後宮五千餘人。

呉が晋に降伏した時、その後宮は五千人余りという規模だった。これもやはり呉の国力としては奢侈が過ぎたというものだろう。

下って唐代になると、《通典・職官十六・后妃》《旧唐書・職官三》《新唐書・百官二》などによれば、唐の後宮制度は始め隋の煬帝が欲を出して拡張したものを受け継いだが、次第に整理して、玄宗の時には「妃」三人乃至四人、「六儀」六人、「美人」四人、「才人」七人を標準とした。これに仕える女官は数え上げると270人ほどになる。ただし中国では後宮の職務のために宦官も入るが、宦官の所属する内侍省という役所が別にある。日本には宦官はないので、後宮の中に内侍司という部署があって女官が所属する。いずれにせよ案外規模が小さいという印象を受けるが、やはり皇帝は律令の拘束は受けないので、実際はどうかというと、白居易の《長恨歌》に、

後宮佳麗三千人,三千寵愛在一身。

という有名な句がある。これは詩的表現だから厳密には請け合えないが、他の例によって考えるとあながち誇張でもないようだ。跡継ぎを作るためだけなら、皇帝一人に女性三千人は、いくらなんでも必要がないだろうから大変な贅沢である。


血統を権力の根拠にする社会では、君主の後継者がなくなるとたちまちに体制の崩壊を招くこともある。昔は死産が少なくなく、嬰児の死も多く、せっかく成長しても病気や政争で殺される危険もある。そうした不安が根底にあって、贅沢をしたいという欲が加わり、権力がそれを実現し、また不安によって贅沢が許容される。そして人の感覚というものは、一度贅沢をすることに慣れてしまうと、どのくらいが必要最低限度なのかが分からなくなる。継承は男系で、それも父子継承が望ましいといったように、限定条件を付けることで、不安が増すことはあっても減ることはない。