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古代史を語る

古代史の全てがわかるかもしれない専門ブログ

歴史と人物の理解と評価

 《万葉集》巻十九に収められている、

おほきみ かみませ あかごま はら 京師みやこ

おほきみ かみませ みづとり  皇都みやこなし

 という歌はよく知られている。この二つには「壬申年之乱平定以後歌二首」と題詞が付けられているので、作られたおおよその時期が分かる。そしてこの二首における皇・大王とは、天皇一般ではなく、天武天皇その人を指しているのであると理解してこそ、歌の感興が伝わってくる。その大意は「わが殿は、神わざをなさるお方なので、人の住まない原野を、王宮にお変えなされた」というのである。

 この歌にも表されているように、天武天皇はそれまでのこの国の王者とはなにか違った偉さを人々に感じさせたのだった。そして後世にこの歌を見返す時にも、やはり天武天皇はその後の歴々と比べても違う偉さを感じさせる王者だったということを思わせる。しかしその偉さとはどういうもので、それは歴史にどういう意味を持つかということを、では我々は十分に評価できているのだろうか。正当な評価をするには、人物を過不足なく理解したいものだが、いったいこの人はどんな人だったのか。

 歴史を詳しく考えていると、そこに浮かび上がってくる人物像と、常識的な評価との間に、ずれを感じるのはよくあることだと思う。そのずれの中に何か重要なものがありそうで、気になる人物というのが私には何人かいる。


 たとえば、司馬懿という人物は、三国時代随一の巨人であったろうとは思うが、まずその人生の前三分の二くらいのことがよく分からない。《三国志》を繰ってみると、本紀では文帝のいまわの際に呼び出されれて遺詔を受けたということで初めて登場するが、この時すでに48歳である。その後73歳で死ぬまでのことは、本文と裴注によって追うことができる。それより前のことは、《晋書》にはいくらか載っているが、これは成立が唐代まで遅れる上、あまり質の良くない所もある史書で、何より最も信頼すべき《三国志》によって裏が取れないのだから困る。

 司馬懿のことはあまりよく分からないので、《三国演義》などでは諸葛亮の引き立て役としてどうにも損な扱いを受けている。たしかに小説の主人公にするなら、諸葛亮は逸話が豊富に伝わっていて取り上げやすい。憎らしいほどの英雄で、詩作なども残している曹操も魅力がある。他にもこの時代にはおもしろい人物は多い。それに比べて司馬懿は小説にならない男だ。しかしおもしろさによって歴史における人物の評価が決まるようではいけない。他の人物のように勇名奇功を以て知られるのではない所が仲達の真骨頂なのである。


 中国史では、武則天皇帝なども、評価の見直しを待っている人物の一人ではないかと思う。儒教では男性をさしおいて女性が表の顔になることを嫌うので、この人物を皇帝としての名で呼ばす、高宗の皇后としての則天武后という名で記すのが習いである。儒家は欠点を数え上げてこの人物を悪く言ったものだが、誰にでも長短があるのに女性であるからというのでそれを非難の理由にするのはおかしい。だいたい男性は世襲ができたから下らないのでも皇帝や宰相になれたが、女性は政治で上に立とうとすれば必ず実地に能力を問われたのである。

 女性の天子という存在を肯定するために仏教を援用したり、子が母親の喪に服する期間を引き上げたことなど、武則天の試みた思想改革は特に挙げておきたい。それが結局は思想としての男尊女卑を先鋭化させるという反動を招いたとしても、それは時代の限界というものだ。こうしたことは、学者の間では再評価が進んでいることだろうが、それが一般の印象を刷新していないとすれば、まだ意味をなしたとは言えない。この人に限らず、女性といえば歴史上の役割を軽く視る傾向が絶えてなくなったとはまだ聞かれない。


 日本史では、徳川家康などもまだ横取り者の古狸という印象が根強いのではないだろうか。江戸時代、家康は、一方では神君として崇敬され、他方では抑圧の元締めとして憎まれ、良くも悪くも客観的評価を受けるべき存在でなかったのはしかたない。そして明治維新後も否定すべき旧体制の創始者としての扱いをされなければならなかった。その反面、豊臣秀吉は過大に評価された。たしかに秀吉の人生は起伏に富んでいておもしろいかもしれない。しかしスポーツにたとえれば、秀吉は選手としては抜群に強かったが、競技連盟の会長になって統一ルールを作ることには成功しなかった。我々は家康の治世を構想する能力についてもっと考えてみる必要があると思う。


 仲達と孔明、あるいは家康と秀吉の例がよく示してくれるように、ある人物に対する評価のゆがみは他の人物へも波及する。ある人物への過大評価につられて他の人物が持ち上げられたり、反対に過小評価を受けたりする。これが連鎖して歴史の全体像をもゆがませるのか、または全体性のある歴史像をうまく描けていないから人物への評価がゆがむと言うべきだろうか。

 日本古代史を考える上では、やはり天武天皇が最も重要な人物の一人だろうということは言える。しかしこの人物がどう鍵を握っているかということは、私にはまだ十分理解できていない。それでもこれはどうしても必要なことだと思われるので、近いうちに何とか見通しをつけてみたいと思っている。