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古代史を語る

古代史の全てがわかるかもしれない専門ブログ

五世紀の倭新関係(前編)

 《日本書紀》は天武天皇とその後継者の王権のために編まれた。だからその立場からする潤色や付会が多い。従来多くの論者が幻惑される所である。史書の記述に疑いがあるとき、それを確かめる方法の一つは、同じ事柄を扱った別の史書と比較してみることだ。書紀を読むための参考として最も手近なものには《古事記》がある。記紀両書の企図の違いにも関わらず一致する内容は、それだけ信憑性が高いと言える。しかしこれとて同じ時期の同じ朝廷で編纂されたものとしての限界がある。特に外政に関することになると、両書の比較だけからより客観的な事実を抽出するのは難しい所がある。この点で上古の韓国については高麗で編まれた《三国史記》を参照しなくてはならない。

 《日本書紀》は、短所としては目的に沿った偏向が強いが、長所としてはある程度まとまった歴史観を持っている。《古事記》は文学的に過ぎるけれどもやはり一つの世界観を形成している。《三国史記》は、成立が1145年と遅いために、原史料の損失から内容が十分ではないが、当時の中国歴史界の傾向を受け継いであまり作為を加えていない点で扱いやすさがある。それぞれが異なった特徴を持っているので、それを踏まえた上で比較をすると、それなりに得るものがありそうである。

 問題の多い新羅関係の記事について見ると、記紀では仲哀天皇神功皇后の所まではほぼ具体的な存在を見せない。しかし《三国史記・新羅本紀》では、それ以前から倭人倭国などの字がしばしば現れる。例としていくつか挙げると、第二代南解次次雄の十一年、「倭人が兵船百余艘を遣わして海辺の民戸を掠めた」とか、第六代祇摩尼斯今の十二年春三月「倭国と講和した」、第十三代味鄒尼斯今の六年夏五月「倭兵が至ると聞き、ふねかじおさよろいつわものを繕う」、第十六代訖解尼斯今の三十五年春二月「倭国が遣使して婚を請う。むすめは既に嫁に出たとしてことわる」など、他にも多くある。

 これらの事件は記紀に対応する記事がないので、照合によって信憑性を確かめることはできない。しかし一致しないからというので一概に棄却することもできない。それぞれの史書を編纂した者の目的や立場の違いによって濾過された結果として不一致が生じた可能性がある。隣り合う集団の間には何らかの交渉が行われるのが常なので、記されたとおりの時と内容であったかは別としても、これらの事件はありうべきことではある。ではそれが実際あったことだと仮定して、記紀に載せられなかったのはどうしてだろうか。

 その答えは、前回までに考えてきたことによって理解できると思う。つまり神武から景行ころまでの記紀の主役たる王権は、奈良平野に拠点を置き、その影響圏は瀬戸内海方面に偏していた。その間に日本海側には別の勢力が形成されていたので、歴代の所謂“天皇”はその方面の事件には関与する所がなかった。日本海側の勢力と関係の深い神功皇后がこの王権の牛耳を執るに至って、初めてそれが日本的王権の由緒にまつわる問題として記紀の視野に入ってくるわけだ。

 前回に述べたことだが、新羅本紀の実聖尼師金元年「倭国との通好し奈勿王の子未斯欣みしきんを質とした」という記事が、書紀の「新羅王が微叱己知波珍干岐みしこち・はとりかんきを質とした」というのとようやく一致する。西暦400年頃の事件とみられる。

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 書紀ではこのとき、神功皇后が華々しく武装船団を率いて新羅に押し寄せ、新羅王は恐れて降伏を申し出たことになっている。しかしこの軍団は書紀の筋立ての上でさえ全く活動していない。これはおそらく口承文芸を取り入れたのだと思われる。もし講談ならできるだけ大げさに尾鰭を付けて話しを引き延ばした方が面白い。実際には普通の外交の一幕であって、日本側の原史料も本来はごく簡単な記述しかなかったのだろう。

 このとき、高麗高句麗)・百済両国王が、新羅が降伏したと聞いて、ともに日本に“朝貢”を絶やさないことを誓った、と書紀は述べる。これも当時の状況からしてありえることではない。非常に東洋的な言い方になるが、“朝貢”とは相手が“天子”であってこそ成立する。これは、七世紀後半の日本が滅びた両国からの多くの難民を保護することになった状況から、逆算的にその由来を過去に求めたのだ。新羅に対する優位の主張も、編纂現在の必要から析出したものである。

 記紀編纂に係る時期の事情から、過去の事件を脚色するということが、日本の古代史像を作り、さらにはそこへ明治国家の要求から再度の偏向が行われた。この二重の幻影が多くの知性ある研究者をも迷わせてきたのだった。

 これ以後も、新羅本紀には、五世紀代のこととして、「倭人」や「倭兵」が「辺を侵した」とか「城を囲んだ」といった記事が繰り返し現れる。書記の側にも、個別に対応が認められるかどうかは別として、この後からようやくこれらと対照できそうな記事が現れてくる。ここにもほぐさなければならない問題があるが、長くなるので次回に分ける。